沖縄における団塊世代

 2006.11.18 第10回南島地域文化研究会で発表した「沖縄における団塊世代」のレジュメに加筆修正した未完成レジュメ 

             

具志堅邦子(家族社会学・沖縄国際大学非常勤講師) 


問題の所在 

 団塊という世代が発見されたのは1976年。堺屋太一の『団塊の世代』(文芸春秋、1976年)という小説のなかで、1947年から1949年の出生数の塊に注目されたことによる。

  団塊世代への注目は少子高齢社会・人口減少社会の到来によって近年再浮上してきた。2007~2010年にかけて年間100万単位の団塊世代の定年者が出現し、現状の社会システム(例えば生産と消費の経済構造や生活保障と税負担の問題)の転換を余儀なくされている。それゆえに団塊世代論が浮上している。

 しかし沖縄においては団塊世代論が話題にのぼることは多くない。その理由は何なのだろうか。そもそも沖縄において団塊世代はあるのだろうか。あるとしたら、沖縄における団塊世代はどこに特定すればいいのだろうか。


 団塊世代の定義 

 団塊世代の括り方は、1947年、48年、49年までの3年間に生まれた狭い年齢層を限定するのと、共通の時代経験や価値意識を持つという点から1945年から54年生まれまでの10年幅の年齢幅を想定しているのもある。一般的には1947年、48年、49年生まれが支持されている。1947年から49年を第一次ベビーブームという。 

 世代とは、広義には「社会を構成する一定の年齢層(通常30年)の人びと、ないしはその年齢帯」をいい、狭義には「出生時期を同じくし、歴史的体験を共有することによって類似した精神構造と行動様式を示す一群の同時代者」(社会学小事典)をさす。団塊世代論に関しては出生数と歴史的体験でみることが基本のようである。


 日本における団塊世代の語られ方

  1947~49年のわずか3年間に生まれた団塊世代は現在(2006年時点)、人口にして691万人、就業者数にして539万人と、日本の全人口の5.4%、全就業者数の8.6%を占める。

  団塊世代はその人口ボリュームゆえに、産業構造、各企業のマーケティング活動の面にさまざまな衝撃を与えてきた。常に日本経済の盛衰や危機との関係で語られた。高度経済成長、オイルショックを経ての低成長、バブル期、そして失われた10年という日本の社会の変転とともにあった世代である。

  団塊世代はその数の多さゆえに、高校進学率をアップさせ、つねに競争のなかにあり、地方から都市へ大量に移動し都市化に拍車をかけ、また彼らは世帯形成期には郊外へ移動し郊外化を生み出した世代である。 

 団塊世代はライフステージごとにネーミングが変遷した。出生~20代前後は、第一次ベビーブーム世代、戦後民主主義の申し子、移動世代、全共闘世代。20~30代は、友達夫婦、ニューファミリー、近代家族。30代~40代は、会社人間、ポストレス世代と多様なネーミングが冠され、その時代と彼らの関わり方の一面を強調した。

  団塊世代は世代論が成立する最後の世代と言われている。歴史的体験の共有が普遍性を持っている点からである。彼らのライフスタイルは彼らの青年期のサブカルチャーを引きずり、60歳の手前であってもフォークソングやロック音楽に共感を示し、休日にはジーンズやスニーカーを履き、子どもと一緒にマンガやアニメ、ゲームに興じる感覚を持ち合わせている。 

 年齢規範より世代規範がより強いことが世代的特徴と論じられている。そのライフスタイルやサブカルチャーは常に前の世代とは違う新しい価値観の創出を意味した。

 団塊世代は常にビッグマーケティングであり大量消費社会を生み出した。彼らが生み出してきたものが一過性ではなく、今なお彼らの生活に根付いているという点が団塊世代論を定着させるのであろう。 

 しかし団塊世代が高齢期に入る今後は、高齢人口の増大とともに高齢者への捉えかたが変容する。これまで「ニューファミリー」(集団としての家族)と記号化されていた団塊世代の家族は「個に帰る家族」(個人化した家族)へと大転換していく。

  団塊世代はこれまでの高齢者イメージでは捉えられない。社会を支える「アクティブ・エイジング」という存在になり、その位置づけがますます有効になっていくことが予想されている。 日本における団塊世代が議論に値するのは彼らの動向がこれからの日本社会をどう変えていくかを示唆するからである。


 「団塊世代は常に経済の盛衰で語られ、そのライフスタイルやサブカルチャーは新しい価値観の創出を意味した。団塊世代は人口ボリュームゆえに常にビッグマーケティングとなり、大量消費社会を生み出した。彼らが生み出してきたものは一過性ではなく、今なお彼らの生活に根付いている」(財ハイライフ研究所、三浦展)。
 「団塊世代が高齢期に入る今後は、高齢人口の増大とともに高齢者への捉えかたが変容する。これまで「ニューファミリー」(集団としての家族)と記号化されていた団塊世代の家族は「個に帰る家族」(個人化した家族)へと大転換していく。高齢者はもはや「社会的弱者」ではなく社会を支える「アクティブ・エイジング」であり、その位置づけがますます有効になっていくことが予想される」(三浦、天野、前田、参考文献参照) 
「マーケティングにおいては大量消費社会から物質面だけでなく精神面も含めた新しい消費社会が誕生すると言われている」(財ハイライフ研究所、三浦展)。


 出生数 

 出生数の年次推移に注目した団塊世代の特定の仕方を、沖縄に当ててみたらどうであろうか。


  出生数に着目した日本における団塊世代は1947~49年とされているが、沖縄においてはそのコーホートは出生数が高いとはいえない。むしろ、1951~54年の出生数が突出して高い。したがって出生数の塊にのみに注目すると、沖縄における団塊世代と日本における団塊世代にはズレがある。その要因は何であろうか。

  戦争によって結婚・出産が遅れると、戦後これを取り戻す動きが活発化して出生数が急増する。日本においては1945年の10月から始まった在外邦人の引き揚げがベビーブームの発端となった。青年男子の帰還が結婚ラッシュをもたらし、これを原因として団塊世代が誕生したと考えられている。

 しかし沖縄においては地上戦の惨禍の後遺症で親となりうる世代が少なく、しかもしばらく社会基盤が形成しえなかったこともあって、出生数が急増するのは日本より遅れて1951~54年である。このことが主な要因であろう。 


合計特殊出生率 

 合計特殊出生率の波が日本と軌を一にしないのは、沖縄においては米軍統治下にあって優生保護法が成立しなかったことがあげられよう。 また日本においての合計特殊出生率の急激な低下は少ない子どもに高度な教育を与えるという価値観の普及のためであろう。


  日本の企業は、戦後、終身雇用と年功序列賃金と労働者組合の3点セットの日本型雇用慣行で労働者を獲得し維持した。しかし学歴にともなう初任給の格差、その後の給料の昇給の格差が生活の質に多大な影響を与えることを大衆は実感した。そのことにより、家族は小規模化し、三歳児神話、受験戦争、という社会をつくっていく。

  さらに、日本型雇用慣行は男性は企業戦士、女性は結婚後は専業主婦、子どもは二人という日本型標準家族を大量につくりだした。団塊世代はそれらを歴史的体験した世代なのである。

  沖縄社会は大企業が脆弱で日本型雇用慣行のある社会の勢いを体験していない。したがって合計特殊出生率は日本社会と軌を一にしていない。 

 金城一雄(1992)は「沖縄でのベビーブームは、旧来安易に言われているように全国と同一の期間では必ずしもなく、全国より2、3年遅れて形成され、期間も2~3年長いのが妥当であろう」と指摘している。

  なお、日本における団塊世代の出現は第二次世界大戦後の青年男子の帰還が結婚ラッシュをもたらし、この要因が団塊世代を誕生させたと考えられているが、金城(1992)によれば、沖縄においては「1950年代初頭に形成された沖縄でのベビーブームは、全国のように主に『結婚ブーム』に起因するものでは必ずしもないと推察されうる」と指摘している。

  「別言すれば、当期の沖縄では、新たな婚姻によって生じた第一子の出生が出生数の増大に及ぼす影響は全国より弱く、既婚姻関係より生じた第2子以上の出生の影響が大であったと考えられる」と論じている。 

 つまり戦後の沖縄社会は捕虜収容所からの帰還や、結婚適齢期の若者を戦争で失い、インフラが整うのが遅かったことによって、日本社会と同じような1947年・48年・49年のベビーブームの到来が来ず、1951年・52年・53年・54年にベビーブームが到来したということである。

  日本における団塊世代が出生数に注目されてネーミングされたことに準ずれば、沖縄における団塊世代は1951~54年生まれだと特定できるであろう。

  しかし、沖縄において、1951~54年のこの世代は団塊世代と位置づけられることはなかった。その理由として、①日本における団塊世代の定義を検証しないままに、出生数の少ない1947~1949年までを団塊と捉えていたこと、②日本における団塊世代のように、その世代以降に急速な出生数の減少がみられなかったため、だと思われる。 


高校進学率 

 しかし、前の世代と異なる歴史的体験をしたのが日本における団塊世代(1947年から49年)だとすると、沖縄における団塊世代(1951~54年生まれ)も、画期的な歴史的体験をしているといえよう。 1951~1954年にかけて出生した世代を沖縄における団塊世代と特定して論を進めめてみたい。その指標として高校進学率と離婚率の推移で比較してみる。


  日本における1947年生まれの団塊世代が満16歳になり、その年齢が高校一年生になるのが1963年とすると、1963年の高校進学率は前年の高校進学率62.3%を2.8ポイントあげ66.8%(1963年)と上昇する。さらに1949年生まれの団塊世代の高校進学率は70.7%となる。団塊世代の特徴として高校進学率が劇的に上昇していく時代を生きているということである。

  1951年から54年生まれを沖縄における団塊世代とすると、沖縄における団塊世代も高校進学率は急伸する。同じく満16歳が高校1年生だとすると沖縄の団塊世代以前の高校進学率は53.3%(1966年)。1951年生まれの高校進学率は59.10%(1967年)。5.6ポイントの急伸である。 

 これは全国の団塊世代がもたらした以上の社会的激変ともいえる。ほぼ半数近くの者たちが義務教育だけで学業を終了していた時代から、高校進学があたりまえになる時代へと、激変する時代であり、その歴史的体験を彼らは共有しているといえる。

  沖縄における団塊世代も前の世代とは違う歴史的体験をし、新しい価値意識をもった世代ということになる。


 離婚率 

 離婚する理由はさまざまであるが社会変動の指標になる。沖縄の「離婚率」から沖縄における団塊世代が他の世代と画期しているか検討する。


  1951~56年にかけて「沖縄の離婚率」が急速に低下することから、沖縄における団塊世代も他の世代と画期的に違うとみることが可能ではないか。

  1951年の1.12%を境に1954年の0.65%まで、離婚率は急速に減少する。1953年に全国平均を下回り、1963年までの11年間にわたり、全国平均を下回り続けている。この時期は沖縄の婚姻史上、画期をなす。 

 離婚率が低いということは、家族規範が強かったことを意味する。それは沖縄における家族規範の特殊な時期であるといえよう。要因は確定できない。

 ちなみに、沖縄において明治民法が改正されて新民法が施行されるのは1957年1月1日である(『沖縄大百科事典別巻』「沖縄・奄美総合歴史年表」による)。 そうすると1956年までの離婚率の急激な低下は、明治民法の下での婚姻によって発生したのだといえる。明治民法の施行時(1898年)には全国的に離婚率が半減する。戦前の沖縄では明治民法の施行による離婚率の急激な低下は見られないが、戦後、何らかの要因(戦後の急激な都市化など)で明治民法による離婚率の低下を招いたことが考えられる。新民法が施行された1957年から離婚率は増加を始めるので、戦後の離婚率において、明治民法の要因は強かったものといえる。

 沖縄における団塊世代は家父長制の強い明治民法のもとで生まれ育ち、離婚率が急速に減少する時代に生まれ育ったことになる。学童期まで、離婚率の低い社会で生活していたということは、沖縄における団塊世代が前後の世代と画期的に違う時代を生きていたということである。  

 まとめ

  沖縄における団塊世代を出生数、合計特殊出生率、高校進学率、離婚率から検討してきた。 日本における団塊世代が特異な世代であったように、沖縄における団塊世代も特異な世代である。ただ出生時期は同一ではなく、また「日本」と同一の時代背景や歴史的・社会的体験を共有しているとは言い難い。

  高校進学率、離婚率、という数量データーをみるかぎりにおいては、1951~54年までの出生者は、沖縄社会において他の世代とは画期をなす特異な世代ということになる。 

さらに、沖縄における団塊世代は、沖縄戦後史の画期とも重なる世代である。1951年に「対日講和条約」がサンフランシスコで署名され、翌1952年に発効された。その結果、沖縄の施政権は、日本国からアメリカ合衆国へ移された。その時期に生まれた世代が沖縄における団塊世代であるといえよう。 また、沖縄の施政権が日本国に返還される1972年に、彼らは18歳から21歳までの成人期を迎えている。20歳前後で日本復帰を経験した。

  「歴史的体験を共有することによって類似した精神構造と行動様式を示す一群の同時代者」(社会学小事典)が世代論を成立させるのなら、「沖縄における団塊世代」の精神構造や行動様式に関しての論証が今後の課題である。



 参考文献 

天野正子『団塊世代・新論―<関係的自立>をひらく』有信堂、2001年 
落合恵美子『21世紀家族へ』ゆうひかく選書、1997年 
金城一雄,「沖縄における婚姻の動向とその特殊性」『沖縄大学紀要第9号』1992年
 堺屋太一『団塊の世代』文芸春秋、1980年 
澤田佳代「戦後沖縄における「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」の萌芽―米軍統治と助産婦における避妊普及活動」明石書店、2005年 
鈴木広「過剰都市化の社会的メカニズム」『都市化の研究』恒星社書房、1986 年
波平勇夫「沖縄社会の変容と現在」『地域社会学の現在』ミネルヴァ書房、2002 年
根村直美『ジェンダーと交差する健康/身体―健康とジェンダーⅢ』明石書店、2005年
 前田信彦「定年後の職業観―定年文化の変容とアクティブ・エイジング」社会学評論 
三浦展『団塊世代を総括する』牧野出版、2005年 
三浦展『団塊ジュニア1400万人がコア市場になる!』中経出版、2002年 
宮平栄治「“シニア”産業の可能性―団塊世代向け「華麗」市場への産業確立に向けて」(『沖縄の新観光ビジネス』財団法人雇用開発推進機構、2005年
 樋口美雄・財務省財務総合政策研究所『団塊世代の定年と日本経済』、2005年
 財団法人ハイライフ研究所『団塊世代の地域分布とその生活スタイル』 2005年
 経済企画庁『平成10年国民生活白書―「中年」-その不安と希望』2000年 
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