エイサーの社会学
2010.8.7 19:00~21:00 於:仲座公民館
エイサーの歴史的・社会的生成を軸にして
具志堅 要 (沖縄古謡記録保存事業嘱託員)
1. 社会学の視点
少しずつ変化していったものとしてとらえるのではなく、変化の構造をとらえる。そのなかで変化したものと変化しなかったものを考える。
2. 古いエイサーと新しいエイサーの違い
古いエイサーは〈似せ念仏〉の系譜。新しいエイサーはモーアシビからの変容。狭義のエイサーを青年たちに担われたモーアシビからの変容と定義する。古いエイサーは仮に〈似せ念仏(クーヤーなど)〉としておく。
3. 〈似せ念仏〉と〈エイサー〉の違い
似せ念仏は他界から訪れる祖霊(歴史的存在)たち、エイサーは来訪神(神話的存在)。
4. 似せ念仏の起源
中世日本を漂白跋扈していたアンニャたちの渡来。アンニャとは下級宗教家であり、芸能もおこなっていた。葬式のときはニンブチャー(念仏者)と呼ばれ、芸能をするときはチョンダラー(京太郎)と呼ばれた。
5. 似せ念仏の痕跡
沖縄においてはエイサー、八重山においてはアンガマ。
6. 近代におけるエイサーの変容と普及発展
狭義のエイサーは、ヤガマの残る中北部に普及発展した。ヤガマとはモーアシビのトポスであった。似せ念仏はモーアシビの要素を取り入れることによって、狭義のエイサーに変容した。そのときに祖先供養に加えて、来訪神祭祀の要素が加わった(五穀豊穣、齢の長寿、子孫繁栄等)。
7. 狭義のエイサーの三分類と特徴
①手踊り型、②太鼓型、③パーランクー型
①手踊り型:円陣舞踊で、地謡の歌に踊り手が囃子を返す。太鼓は伴奏楽器。
②締太鼓型:伴奏楽器だった太鼓が踊りだしたもの。戦後の急激な都市化のなかで普及発展した。
③パーランクー型:与勝半島を中心に形成された。モーアシビが手踊り型に行かずに、雑踊り(ぞうおどり)の要素を取り入れて発展した。手踊り型、太鼓型がモーアシビの延長上で男女のストレートな恋心をあらわすのに対して、秘めた恋心を表現する。
参考文献
佐喜眞興英「シマの話」(1925年)『日本民俗誌大系第1巻沖縄』角川書店、1974年
網野善彦『日本中世に何が起きたか』洋泉社MC新書、2006年
城間秀雄「那覇市国場のエイサーについて」『エイサーフォーラム』1996年
野原廣亀「南風原町喜屋武のクーヤーについて」『エイサーフォーラム』1996年
宮良当壮「沖縄の人形芝居」『日本民俗誌大系 第1巻沖縄』角川書店、1974年
折口信夫「組踊り以前」「ごろつきの話」『折口信夫全集 第三巻』中公文庫、1975年
池宮正治『沖縄の遊行芸 チョンダラーとニンブチャー』ひるぎ社、1990年
宜保榮治郎『エイサー 沖縄の盆踊り』那覇出版社、1997年
那覇市史資料篇 第1巻12 近世資料補遺・雑纂』、2004年
ぐしけん かなめ「エイサーアンケート集約」エイサー研究会、1990年
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